我が町 足立(My hometown "Adachi") |
Last update :
2001/02/08
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我が町、足立
東京都足立区は、北西部の高台地(とはいっても海抜4m程度であるが)
と東南部の低湿地(海抜0m地帯)とに二分される。
前者は古代の人々にとり住居地として最適地であったためか、
縄文時代から中世にかけての遺構が多数見られる西新井支部地区であり、
後者は徳川幕府の治水、新田開墾、街道整備により
千住宿と日光・水戸両街道を中心に、
近世以降発展を遂げた足立支部地区である。
だから区内を流れる各河川も、おおむね西北から東南に向かっている。

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昔も今も交通の要衝
「江戸深川の破屋をいで、隅田川を渡り・・・千じゅと云う所にて船をあがれば、
前渡三千里のおもい胸にふさがりて」
松尾芭蕉の俳諧紀行文「おくのほそ道」の旅立ちである。
千住は、寛永二年に奥州街道、日光街道、水戸街道の初宿として定められ、
板橋、品川、内藤新宿と共に江戸四宿のひとつとして、繁栄した宿場町である。
そして今も、交通の要衝としての北千住駅は、
東武伊勢崎線、JR常磐線、営団日比谷線、営団千代田線が交錯し、
千葉県、埼玉県、茨城県のベットタウンと都心を結ぶ
全国有数のターミナル駅でもある。
さらに現在工事が着々と進んでいる常磐新線は、
北千住駅を経由して、筑波学園都市と都心を結ぶ路線となる。

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赤門寺
勝専寺という立派な正式名称があるのだが、
地元の人々はみな赤門寺と呼んでいる。
年二回の縁日には門前の小路と境内にびっしりと屋台が並ぶ。
綿アメ、たこ焼き、ヨーヨー、金魚すくい。
昔は境内に小屋がかかり、
「東北の山中で狼に育てられた哀れなヘビ女」などという
いかがわしい見世物もあったが、もちろん今はない。
正月の15日〜16日はお年玉で懐の暖かい小中学生たちが、
7月の15日〜16日の宵の頃は浴衣姿の家族連れが、
両側に立ち並ぶ屋台を覗き見しながら、肩を擦りあって行き来する。
これもまた足立の風物詩である。.
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<足立の花火大会>
撮影;小早川 徹也
会員 |
足立の花火
毎年7月の下旬、荒川の河川敷で
足立観光協会主催の
花火大会が開かれる。
この日は朝から堤防の斜面に
ゴザを敷いて場所取りが始まる。
夕刻に冷たいビールや枝豆持参の
グループが続々とやってくる。
近所の工場やマンションの屋上は
俄かビヤガーデンだ。
少し遅れてきたカップルは
手持ちの新聞紙でも敷けば
二人分の席がすぐ作れる。
とにかく河川敷は広いのだ。
午後7時半から90分、
間断なく約ん千発の花火が
打ち上げられる。
都内の花火大会としては
隠れた穴場であること間違いなし。
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足立区役所新庁舎
足立区は荒川により二分されるが、
荒川をはさんで東側の北千住地区の面積は
足立区全体の面積の一割以下である。
従来、区内の主な行政施設は北千住地区に集中していたが、
平成8年5月より足立区役所は新築竣工した
中央本町庁舎に全面的に移転してしまった。

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飲み屋横丁
北千住駅と足立税理士会館を往き来するには、
通称「飲み屋横丁」を通らなければならない。
長さ約250m、幅約4mの道の両側にはスナック、居酒屋等が軒を連ねており、
路地の奥の小道までも迷路の如く入り組んでいる。
支部の会合が終了する夕方から宵の頃には、
仕事帰りのサラリーマンやキャバレーの呼び込みで賑わっている。
この飲み屋横丁に来れば、今日もどこかの店で、
足立支部会員が杯を重ねているのに出会うであろう。
お近くへお越しの節は、是非ともお立ち寄りあれ。

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西新井大師
天長の昔(千百余年前)
弘法大師空海が
関東巡錫のさい、
当西新井にお立ち寄りになり、
悪疫流行に悩む
庶民の苦しみを救わんと、
御自ら十一面観世音尊像を
お造りになり、
21日間の御祈願をなさると、
当地に浄らかな泉が涌き出て、
病はたちまち平癒したと
伝えられる。
以来、民衆祈願の霊場として
善男善女の厄除け祈願を
中心に、家内安全、
息災延命を祈る
護摩修行の祈願寺として栄え、
今日まで連綿と
法灯を伝えてきている。 |
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元旦初詣の熱気溢れる壮観さは
各種年中行事の圧巻であり、
続く節分の豆まき、
だるま供養の「お焚き上げ」等、
また毎月の縁日と休日の賑わいは、
江戸庶民以来の日本人の心に
根ざした信仰と心のやすらぎ、
願望と慰めの場であることが
伺われる。
当山西新井大師は
弘法大師が自らご開創になった
関東随一の霊場である。
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